early in the rainy day

ほんの備忘録として。自分のために書いてみます。

コールド・フィーバー

『コールド・フィーバー』
フリドリック・トール・フリドリクソン/1995/アイスランド

大好きな監督。『春にして君を想う』以来二作目の鑑賞。彼はアイスランドに映画制作を根付かせたパイオニアだそうだ。『春にして君を想う』(原題は“Children of Nature“。最も美しい日本語の翻訳のひとつだと思う)はその名の通り春のアイスランドである一方、この作品は冬のアイスランドを舞台にしている。その印象に違わず、ほぼ全編においてスクリーンは真っ白に染まる。この配色がまた美しい。

彼の作品の特徴は、死の影が作品に色濃く表れているところだ。しかし、その死は通常想起されるような、生の断絶としての、あるいは終着点としてのそれではない。生は死を含み、死は生を含む。生は死を経て、また生へと還っていく。そんな死生観における死である。だから、ストーリーが陰鬱としているとか、悲しいものでは決してない。むしろ、今生きていることに根ざした、強さを感じさせてくれる。

また、やはりこの作品でも神秘的な出来事が主人公を目的地へと誘うのである。しかし、これは決して映画だから起きるような類のものではないように思える。振り返ってみれば、私たちが今ここにいるのは、もしかしたら妖精の仕業なのかも知れないとすら思えてくる。しかし、彼の作品に登場する人物達はただ施しを待っていたわけではない。自ら、目的地に向かって歩を進める最中に妖精に出逢ってしまったのだ。言い換えれば、自分で望むことだけが必要条件なのである。

主役を務めたのは永瀬正敏。はっきり言って、白眉ものの演技である。他の大多数の日本人に違わず、彼は沈黙がよく似合う。彼の黙ってタバコをふかす姿に憧れを抱いた。