early in the rainy day

ほんの備忘録として。自分のために書いてみます。

YIDFF2015 10/9

「叫び」

「六月の取引」

「プロパガンダ」

「銀の水ーシリア セルフ・ポートレイト」
この映画を観ただけでもこの映画祭に来た価値があると思える良作。洪水のように襲ってくる残虐なイメージは、しかしどこか既視感を伴って追体験される。よく見れば我々の日常に潜む狂気ーいじめ、DV、村社会ターミナルケア、枚挙に暇はないーそのものではないか。とある授業で、地球上で最も命が蔑まれているアフリカやアジアの姿は、私達の鏡なのであるという言葉を聞いて以来、それが奥歯に挟まったように頭の中でこだましていた。その意味が少しだけ分かった気がする。

さて、この映画は映画的手法においても秀逸である。今やインターネット上に氾濫している無数のイメージ。監督はこれらのイメージを見事に内面化し、新しいストーリーを与えることに成功している。繰り返されるイメージの羅列は、しかし確かなメッセージを伴って私達に語りかけてくる。彼はこの映画を映画史の繰り返しであると評している。映画的手法、技法よりも重要なのは、現実を“うつす“営みへの自覚である。カメラの裏側には無数の無人称の人間の視線がある。そしてその視線の先には、また無人称へと滑り落ちつつある人間の現実がある。しかしこうしたイメージは、これらの人間が無人称たることを許容しない。スクリーンに生起する新たなストーリーへと彼らを“うつし“、歴史の中へと焼き付けていく。こうした営為こそ、映画という(そしてお望みならばカメラやインターネットといった)技術の賜物であり、遺産である。

個人的には早くも今映画祭最高の作品であると評したい。